大沢親分のコメントが印象的です。
私の父の勤務先が後楽園球場のボックスシート(年間指定席)を購入してまして、幼少の頃から巨人戦とともに日ハム戦もよく見に行きました(後楽園球場が東京ドームになってからは巨人戦とのチケット抱き合わせ販売がなくなり、日ハム戦だけの観戦となりました)。
正直、これといったスター選手もいない(強いてあげるなら主砲の柏原純一選手くらいでしょうか)のになぜかファンが多くて、私の席の周りには選手のサイン入りの帽子やユニフォームのレプリカを身につけた同年代の子供達がたくさんいたのを覚えています。
なんで子供のファンがあんなに多いんだろう? と当時から不思議に思っていましたが、要はファン開拓に力を入れていたからなんですね。セ・リーグに比べ人気の面で劣るパ・リーグだし、東京には他にジャイアンツもスワローズもある。そんなわけでファンを獲得するための条件は厳しかった筈なんですが、それでもあれだけの子供達の心をつかむことができた。ひとえに経営努力のたまものでしょう。
ユニフォームが青を基調としたタテジマからオレンジベースになり、さらに黒が基調のタテジマになってからも、東京ドームへ日ハム戦を見に行くことがありました。一塁側・三塁側・レフト側の席はガラガラなんですが、ライトスタンドはファンが大勢いて、トランペットに合わせて踊るなどして声援を送っていました。「なんであんなに熱心なんだろう? 正直(言っちゃ悪いけど、私にとっては)それほど魅力的なチームでもないのに」と以前と同じようなことを思ったものですが、あのファン達は少年時代ファイターズ友の会の会員だったのかもしれません。
ところで、日本ハムが球界に進出したのは1974年のシーズンから。2年間はオーナーと同郷の中西太監督で低迷し、その後大沢氏が監督に就任するわけです(就任のいきさつは大沢氏の本『球道無頼』(集英社)に詳しい)。
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1980年に新人木田勇投手の活躍であわや優勝というところまで行き、翌1981年に優勝請負人・江夏豊投手の加入もあってやっと優勝します。つまり、日本ハムが球団を買収してからリーグ優勝を果たすまで8シーズンもかかっているわけです。その間、Aクラスに入れずとも辛抱強く経営を続け、人気先行になってしまうくらいに(オールスターゲームの組織票で大量の日ハム選手が選出されたことがあった)まで球団を盛り立てたのが、氏をはじめとする球団スタッフです。
氏の訃報が流れてから、球団関係者も野球ファンも「球団経営に情熱的な人だった」という回想のコメントを寄せています。先述の大沢氏の本によれば、実際には日本ハム球団はケチだったようです(コーチの給料が安すぎる、多摩川のグラウンドの整備状態が劣悪だ、など)。それで大沢監督も氏に球団のお寒い現状を訴えたことがあったようです。そんなわけで、氏の球団経営の良し悪しについては多少美化されているところがあるのかもしれません。とはいえ、経営への情熱は確かに持っていらっしゃったようです。
最近、野球に関して素人であるにもかかわらず、自らがオーナーを務める球団の現場にたびたび介入し(それもプロ野球だけでなくJリーグでも同じことをしている)ネット起業家がいますが、氏の球団経営を見習ったらどうでしょうか。インターネットを駆使するなどという今日日誰でも思いつきそうな経営手段を前面に押し出す前に、低迷する球団に文句を言う前に、することがあるのではないでしょうか。
オーナーは球団の親です。チームの成績が振るわなくても、現場に口を出さずに、温かくじっと見守る。金は出すが口は出さない。選手も首脳陣も苦しい心境の筈なのだから、デンと構えていなくてどうしようというのでしょうか。責めてしまっては一般のファンと同じです。
最後に、氏のご冥福をお祈りします。

コメント (1)
ネット起業家M氏、目立ちがりやですよね。
坊主頭にしたり。
楽天イーグルス、負けて当たり前の戦力ですよね。
負けて当然みたいな戦力なんだから、やり方を変えるしかないような気がすんですけど。どうなんでしょうか田尾監督は?
投稿者: はらだ | 2005年04月30日 20:40