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2006年06月22日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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昔の職場に行く

午前中、求人広告の取材で或る会社に出かけた後、6年前まで働いていた職場に立ち寄った。

「職場にわざわざ立ち寄る」といっても、普通の人はそんなことはできないかもしれない。しかし私の場合「職場=病院」だったので、患者のふりして(?)フラっと中に入ることもできるのである。

ここを去ってからもう6年以上経つが、実はその間数回訪れている。たまたま近所まで用があったりすると、ちょっと足を伸ばしてみようという気になる。

この元職場の近くには昔から親戚が住んでおり、少し前は親戚がたびたび外来を受診するなんてこともあった。そんなこともあって、私は日頃からこの近辺の情報をまちBBSで入手している。なんでも、この病院が近く建て替えられるらしいという。
そんなこともあって、大幅に変わったらしい病院近辺の風景をこの目で確認するためにも、またこの地を訪れてみようという気になった。

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病院の、各診療科外来や受付窓口(ロビー)の辺りをそぞろ歩きする。
外来患者受付機など新しい設備は導入されているが、それ以外はそんなに代わり映えしない。

受付には見慣れた顔がチラホラと見える。といっても別に親しい間柄でもないので、わざわざ声をかけることはしない。
失礼かもしれないが、基本的に、まだ残っているかもしれないかつての同期入職組や直属の上司以外は声をかけないつもりでいた。

ところが… ふと、ある方(女性)に声をかけられてしまった。
「あら、まあ、久しぶり… 声かけちゃったー」

一瞬「マズい、誰とも話すつもりじゃなかったのに、声かけられちゃったよ…」とも思ったが、別に絶対口を利きたくない人でもなかったので、ちゃんとご挨拶をした。
在勤当時はかけていなかった眼鏡を今かけているっていうのに、よく私に気づいたよなぁ。

この方には、新人研修の頃からお世話になっていた。直属の部下になったことはないし、一時期私とは別の課に異動されてしまったが、それでも勤続5年間のうち私との接点は割と多い方だった。そういえば、退職直前にはすぐ隣の席に座っておられた。

「誰と同期だっけ? Kさん?」と、私より全然先輩だった人の名前を挙げられる。私ってそんなに年いってないよ…。「いや、TさんとNさん、それにS君です」と答える。そういえば、名前を挙げたうち2人は私と前後してやっぱり退職してるんだよなぁ。

フリーでライター稼業をしていることを話すと、「あら、有名になったら教えてね」と。「別に小説とか書いているわけじゃないんで、マニュアルとか求人広告など地味なものを書いてるんで、有名になることはなかなかないと思いますが」とこちらも笑って答える。
今の状態をこのまま続けていくかどうかわからないということ、別にガッポガッポ稼いでいるわけじゃないということ、まだライターになりたてだということは内緒だ。

「元気そうで何より」とのこと。退職後変わり果てた姿になっていたんじゃカッコがつかないものな。苦労を重ねてゲッソリやせちゃったりとか。
在職当時は院内をしょっちゅう動き回っていたこと、それとストレスもあって今よりやせていたが(それでも当時は「もっとやせなきゃ」と思っていた)、今はそれから10kg近く太ったと思う。運動不足と、ストレスが溜まらない生活を送れるようになったからだ。
ちなみに、当時はストレスで何かあるとすぐ腹痛を起こしトイレに駆け込んでいた。退職してからは、そのようなことはまずない。

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先にも書いたとおり、退職後数年に一度はこの職場を訪れているのだが、これは「あの頃の自分と比べて今の自分はどうか」という確認の作業、自分を見直す作業なのだ。原点に立ち返るひとときなのだ。

実は私は、退職の際に当時の上司に次のようなことをボロクソに言われた。
「ここを辞めていった人は皆、結局はまた病院で医療事務の仕事をすることになる」
「外へ出ていったって、どうせ成功するはずがない」

たしかに、医療事務の仕事を一度してしまうと、そこから方向転換を図るのは難しい。このことは昨年11月にも書いたとおりだ。
まして、私は退職当時29歳。もう少しで30歳になるところだった。「30歳になってしまったらいよいよ方向転換ができなくなる」という危機感があった。

でも、どうしても立ち止まるのはイヤだった。
やっぱり、30歳を過ぎてもこの病院で医療事務の仕事を続ける気にはなれなかった。

今日、病院内を改めて歩いてみて、2006年6月の今ここで働いている姿は想像できなかった。当時もストレスやら年齢のことやら何やらで心身ともにギリギリの状態で働いていたし、強力な慰留を受けて残留したところで、どのみち続かなかっただろう。
人生を諦めていたかもしれない。大袈裟に言えば「生ける屍」といったところか。

辞めないほうが、生涯収入は間違いなく上だったと思う。実際のところ、退職当時の収入の水準には、未だに到達することができないでいる。
それでも、「自分らしく生きる」ということを考えれば、辞めたことは後悔していない。

私は、辞めてからというものの、先に挙げた上司の言葉を忘れることはなかった。正確に言えば、辛い状況の中で忘れることはあったけど、それでも忘れるたびに必ず思い出してきた。

もともと負けん気が強くない私だが、この上司の言葉に対しては珍しく負けん気が沸き上がってきた。
「絶対に上司の言うとおりにはなってたまるか」
「あのときあんな酷いことを言われたのを、いつか見返してやる」

もう挫けそうになるギリギリの状況になると、上司の言葉を思い出して踏みとどまってきた。

ちなみに、当時の上司とは仲が険悪だったわけではない。むしろ、親しかったくらいだ。仕事のことだけでなく趣味などのプライベートな話をすることも多かったし、そもそもこの上司の下で働くことを希望したのは私の方だ。私の前任者は上司と決定的にうまくいかず、異動後早々に退職してしまったのだが、私との間にはそういうことは一切なかった。

だから、酷い言葉で私を慰留したのは、それだけ私に残ってほしかったからで、そういう気持ちの裏返しで出た言葉なのだと思っている。近親憎悪みたいなものだろうか。
それでもやっぱり、酷い言葉をただ受け流すことはできなかった。

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「あの頃の自分と比べて、今の自分はどうか」
先述のこの問いに対する答えは、「金銭的には成功しているとは言い難いが、まあ道は細いながらも拓けている」といったところか。
退職してからというもの、順風満帆ではなかった。仕事のこと、家庭のこと、良からぬことが本当にいろいろとあった。
でも、(ありきたりな表現でイヤなのだが)「自分らしく生きる」という点では、まあ悪くないんじゃないかと思う。

今度はいつになるかわからないが、またこの病院をふらっと訪ねることになるだろう。その度に、何らかの形で少しでも前進した自分になっていられたら、最高だと思う。