あらかじめ書かれたシナリオのとおりに物事が運ぶのを見るのは、時に楽しく、時に不快である。
ドラマならば、それでもいい。爽快ですらある。
20時40分頃になると「この紋所が目に入らぬか!」という啖呵のもとに悪人がひれ伏したり、仕事人たちの刃にかかって命を落としていく。そうなることは、わかっている。でも、わかっていても見てしまう。
でも、スポーツとなると話は違う。
人生とは、現実とは、自分が思うようにはなかなかうまくいかないものだ。
スポーツも、そうした「現実」の一つだろう。
2年前の秋、「50年ぶりの日本一を」と目頭を熱くしながらインタビューに対して語った元大打者の監督は、結局日本一の座を得ることができなかった。
もし得ることができていたら、どれほど劇的だったことか。
昨日私が見た風景。
コンビニ(ローソン)に行けば、どういうわけか好物の納豆をモチーフにしたメニューが数多く並んでいる。
実力勝負、真剣勝負を旨とし、本来筋書きなどないスポーツの一試合なのに、「夢の始まり」なるタイトルが付けられている。
マスコミやコンビニなど、周囲があらかじめ“物語”を用意していて、そのとおりに物事が運んでくれるよう心から祈っている。
そうなってもらわなければ、商売上困る。
そういう「大人のずるさ」が、あからさまに見えていた風景だった。
その“物語”を、テレビ局は試合の1時間30分も前から中継番組をスタートさせることで紹介していた。
私は天の邪鬼なものだから、そんな“物語”が見事に覆されればいいな、と密かに願っていた。
素人的視点で試合進行を見ている限り、実際にそうなる可能性は高かった。
ところが、そうはならなかった──。
つまらぬナショナリズムなんか要らない。
我々が求めているのは、ウソやまやかしなんかじゃない、ホンモノなのだ。
メッキは、いつかは剥がれる。
調子に乗っていれば、いつかは鼻をへし折られるときが来る。
今日のところは、「大人のずるさ」のもとに塗りたくられたメッキが、少しでも早く剥がれることを祈ることにしたい。