東急新玉川線、じゃなかった田園都市線の沿線の某所での取材を終え、渋谷へ。
地上に上がり、渋谷西武A館(ただいま工事中)に入った後に再び外に出て、ハチ公広場方向に目をやったら、緑の物体が視界に飛び込んできた。思わずビックラこいた。
遠巻きに見る限り、あれはどう見ても東急(旧)5000系ではないか!
ハチ公広場には用がなかったんだけど、早速スクランブル交差点を渡って(旧)5000系のもとへと向かった。
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「何かイベントがあって、期間限定でここに置かれているのかなぁ」と思ったら、どうもそうではないらしい。
前のドアから中に入ると、渋谷区内の神社仏閣の案内が。運転席近くに渋谷区長からの挨拶文があったので読んでみると、「渋谷の歴史を後世に伝えるモニュメント」といった意味合いで置かれることになったらしい。
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真っ正面から見た図。「澁谷 ←→ 櫻木町」のサボがどこかチャチな感じ。
ちなみにこの(旧)5000系、「青ガエル」というあだ名が付いていて、鉄道好きの間では結構有名な車両だ。私も1979年頃(当時、小学校3年生)に池上線(?)で乗った記憶がある。
たしか、この(旧)5000系のトップナンバーは、東急で廃車になった後に熊本電気鉄道を走っていたはずだと思い、確かめてみたら上田交通の間違いだった。
ダメだ、すっかり鉄道に疎くなっちゃってる……。
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私としては、複雑な心境だった。
だって、「(渋谷の)歴史を後世に伝えよう」という意図は評価されてしかるべきものだけど、本当に(旧)5000系のトップナンバーをこんな形でこんな場所に持ってきていいのだろうか……。
■「こんな場所に」の意味
ここは、今から40年以上前には都電のターミナルだった所だ。右折して山手線のガードをくぐり、宮益坂を登って青山通りへと向かう、その起点だ。
どうせモニュメントを置くなら、たとえレプリカでも都電とか玉電(現・東急世田谷線)の車両を置いたほうがしっくり来る。つまり、普通の電車じゃなくて路面電車のほうがいいということだ。
■「こんな形で」の意味
中に入ってみて「おや?」と思ったのだが、車長が短い。片側に3つ扉があるはずが2つしかない。どうやらショートカットしてしまったらしい。
しかも、台車がないから、どこか間抜けな感じだ。
この(旧)5000系、東急の電車史上ではエポックメーキングな車両だ。そのトップナンバーを、車体を短くして台車を取り外してしまってよいものだろうか?
パンタグラフは残っているとはいえ、車体だけの状態で(それも短く切断されて)こんな場所に置かれてるんじゃ、単なる置物だ。線路上を颯爽と走っていた頃の面影なんぞどこにも見当たらない。
どうせなら、登場(1954年)当時の姿に極力復元して、東急のどこかの線(必ずしも東横線でなくてもいい)の車両基地か「電車とバスの博物館」あたりにでも置いておくべきだ。
おまけに、屋根がないから吹きっさらし。ちゃんと手入れをしないと塗装がはげたりして、見るも無惨なことになるだろう。
これまで、静態保存されたはいいもののその後の手入れが行き届かず、結局はボロボロになってスクラップになってしまった電車の事例を私は数多く目にしている。
なんだか、5001号車が不憫でならなかった。
【参考リンク】
ハチ公前広場に東急「5000系」車両、青少年育成拠点へ(シブヤ経済新聞 2006年10月26日)
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<注>
私は鉄道雑誌を定期的に読まなくなって久しい(今でもたまに本屋で立ち読みはする)し、趣味としての鉄道は半ば卒業した格好になっているので、このようなことが起きているとは今日まで全く知らなかった。
だから、現役の鉄道マニアの人がこの文章を読んだら「今さら何言ってるんだ」と軽くあしらわれてしまうだろうが、何せ「ライトな鉄道好き」が書いたことゆえ、その点はご理解いただきたい。
ちなみに私は、鉄道“好き”ではあるが、鉄道“マニア”だったことは一度もない。
世間の“マニア”の人のようにプラットフォームでカメラを構えることはしないし、旅行に出かける行動力もないし、鉄道だけにのめり込むこともない(他にも興味のあることはたくさんあるので)。