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2014年11月24日 03:11に投稿されたエントリーのページです。

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四半世紀ぶりの再会で思ったこと

一昨日の、高校の同窓会。

卒業したのがちょうど25年前の3月。他のみんなは大半がそのまま大学へ進んだので、学部やらサークルやらで交流の機会があったはず。でも、私は1浪の末に他の大学へ行ってしまったので、卒業式の日を最後に全く会ってない人が大半だった。

1年生の時のクラスメートには、そのうちの一人が数年前に結婚した際に会っていた。でも、2・3年生の時のクラスメートは、SNSやら何やらでのコミュニケーションはあったものの顔を合わせる機会は皆無だったので、今回が本当に久しぶり。

参加したのは、全部で70人くらい。私のクラスからは7人。全部で47人いた(うち1人は去年他界)ので出席率は15%。まあこんなもんか。

会場に足を運ぶと、顔を見ただけで誰かわかったのは2人くらい。あとは「どなたですか?」→名札を見て「ああ、そっか!」って感じ。ひとたび思い出せば、記憶が甦るのは早い。

女子の多くは、結婚して子供もいる(なぜか、2人というケースが多かった)。中には、上の子供が中学1年という女子も。30ちょっと過ぎで出産すれば、今頃は中学生の子供がいてもおかしくないんだよな。

思ったけど、男子も女子もみんな子育てなり仕事なりで43~44歳という年齢にふさわしい顔をしている。普通は、社会の荒波に揉まれたら、多少なりともそうなるんだよな。

ところが、1年生の時に同じクラスだった奴らが不良というか愚連隊で、身なりからして40代のそれじゃない。いかにも遊んでるって感じで、年相応の重みというか年輪が全然感じられない。そいつらのことは嫌いだったんで、極力避けた(一言二言挨拶みたいな言葉は交わしたけど)。
卒業式の後、謝恩会に向かう途中でそいつらを見かけ、当時の仲良し達(今回は欠席)と「あいつらイヤな奴らだな」ってお互いに話してたけど、あの時から進歩が感じられないんだよな。知性のかけらもないし。

私も、結婚や子育てこそしていないが、仕事以外にもいろいろある。一応、それなりに苦労はしてるつもり。
そういう意味じゃ、「もうちょっと自分に自信と誇りを持っても良いのかな」と思った。

それともう一つ、「コツコツと何かをやっていればそれを認めてくれる人が一人はいる、報われることがある」ということ。今の仕事を始めたのは30代も後半に突入してからだけど、一応ずっと同じことばかりやってたのではなく、仕事の範囲を広げられるよう一応努力もしてきた。それが「スゴい!」と認めてもらえるんならね。

で、一つ印象的だったのは、旧司法試験に合格して弁護士になった女子が、物書きになった私を羨ましがったこと。何でも、もともと物書き志望だったのが中学生の頃に「お前にはムリ」と親御さんに言われたのがショックだったらしい。
いやぁ、収入は不安定だし休日も仕事だし、この年齢の男性にしては年収が少ないし、良いことないんだけどな……(苦笑)。

私自身、高校というより学校全体の息苦しさに耐えかねて、外部進学という形でさっさとよそへ出てしまった。その後の大学受験も、ハッキリ言って失敗に終わったといっていい。親には申し訳なかったけど、やっぱり今考えても内部進学という手はないな、と思う。高校卒業直前に昭和という時代が終わったこともあって、すべてリセットしたかったし。
それと、当時のミーハー層にはウケたあの学校の雰囲気(質実剛健とはほど遠いミッション系&オシャレな校風)がどうも自分らしくなくて、そんな学校に通った自分を否定するばかりだったけど、今回「あの3年間は3年間で自分の歴史の一つなんだから、否定せずありのままに受け入れたらいいんじゃないか」という気持ちになった。10代の多感な時期に、毎日聖書の一節を読んで説教を聞いて賛美歌を歌うという経験は、自分の人格を形成するうえでプラスにこそなれマイナスにはならなかったと思うし。

当時はいろいろあったとはいえ、「心のやわらかい場所」(スガシカオ作詞『夜空のムコウ』より)を締め付けられたような、そんな一時だった。